現在のドメーヌ・ロン・デパキの源である ポンティニー修道院は、ジャン・デパキが院長を、そしてその弟である シモン・デパキが管財人を務めていました。 革命の後、1790年に二人は僧籍を離れ、翌年、シャブリに隠遁した シモン・デパキは、国有財産の競売会で「ヴォーデジールのムトンヌ」 と呼ばれていた、とびきり評判の良い畑を購入します。 これが現在の「ラ・ムトンヌ」。 ドメーヌ・ロン・デパキが世に誇る至宝の畑です。 シモンの家系が途絶えると、従兄弟のフランソワ・オーギュスト・ロンが 養子に迎えられてその跡を継ぎ、ここにロン・デパキ家の時代が始まります。 フランソワの息子、ルイ・ロン・デパキが、医者を兼業しながら ドメーヌの管理を始めたのは1910年のことです。 不幸なことに25歳の若さにして交通事故により失明してしまった彼は、 以来ブドウ畑とワインに情熱を注ぎ、 パリの一流レストランに「ラ・ムトンヌ」を広めていきました。 1967年にルイ・ロン・デパキが死去した後、ドメーヌ・ロン・デパキの 名声をさらに高めたのはブルゴーニュの名門ネゴシアン、 アルベール・ビショー家です。 同家によってロン・デパキのブドウ畑は拡大し、 現在ではグラン・クリュ地区全体の約1割に当たる9ヘクタールと、 16ヘクタールのプルミエ・クリュ、シャブリ全体では62ヘクタールに 及ぶ畑を管理・運営するに至っています。 また、シャトーの改修や近代的な醸造施設の整備、ブドウ畑の拡張なども 精力的に進めたアルベール・ビショー家は、シャブリ地区を代表する 名門ワイナリーとしてのドメーヌ・ロン・デパキの名声を揺るぎないものとしました。 『レ・ブランショ』は、シャブリ・グラン・クリュに おいて最も東に位置し、南東向きの斜面を持つ畑です。