サン・ジュリアンに所在する第2級格付けレオヴィル・ポワフェレは、フランス革命のころ、CH.レオヴィルとして、メドックで最も広大な領地を所有していましたが、二度も連続して発生した相続による領地の分割により、3つの別々の領地になりました。 1826年に、3つのうちの一つを購入したヒュー・バルトンが「レオヴィル・バルトン」と自らの名前をつけ、1840年には、残った2つの区画も、それぞれ、レオヴィル・ポワフェレとレオヴィル・ラス・カーズとなり、その後、1855年の格付け制定の際には、3つのレオヴィルはいずれも第2級に格付けされました。
1920年に、フランスの北部出身のワイン商であり、サン・テステフにCH.クロックを所有するキュヴェリエ家が、かつてポワフェレ男爵の所有であった部分をラランド・ロートン家よりレオヴィル・ポワフェレを購入し、1979年以降は、ディディエ・キュヴェリエ氏がシャトーの当主として管理・経営に当たっています。 また、1979年より着手された構造設備の大改造、当世きっての醸造コンサルタントのミッシェル・ロラン氏の助言、ディディエ・キュヴェリエ氏の厳しい管理が、土壌の持つ途方もない素晴らしい潜在能力と一体化し、その結果、サン・ジュリアンでエリートの地位を上り詰めるに至り、1990年代にはいってからは、非常に将来有望なシャトーと評価されるようになっています。