昭和20年代後半、十勝地方は次々と自然災害に見舞われました。昭和27年の第1次十勝沖地震が池田町を襲い、追い討ちをかけるように翌年からの2年連続の冷害による凶作となりました。この苦境からどう脱却するのかという中から、「ブドウ栽培」と「ワイン製造」への道が生まれたのです。 当時の町長(丸谷金保氏)当時の町長(丸谷金保氏)の発案で、「秋には山野には山ブドウがたわわに実る。冬の厳しい池田でもブドウ栽培が出来るはず。農業所得のアップにつながり、町内に多い未利用の傾斜地も活用できる。」まずは、町内の農村青年によって昭和35年にブドウ愛好会が結成され、ゼロからのブドウ栽培といった壮大な挑戦が始まりました。昭和38年には果実酒類試験製造免許を取得し、国内では最初の自治体経営によるワイン醸造を手がけ始めました。 アムレンシスと銅賞写真ブドウ栽培の挑戦とともに、まず注目したのが野山に自生する「山ブドウ」でした。池田町に自生する山ブドウが、アムール川流域に自生しワイン醸造用に適している「アムレンシス亜系」であることが明らかになり、昭和39年この山ブドウから造られた「十勝アイヌ葡萄酒」が第4回国際ワインコンペテイション(ブタペスト)でみごと銅賞を獲得することが出来ました。