1931年にエイドリアン・ネイソンとその弟ジーンは、サン・ピエールに近いラ・カルベという町にあるチュベールという地域を購入します。当初は小規模生産ではありましたが、購入した43エーカーの畑はすぐに不足し、さらにサン・ピエールにも土地を借りました。小さいながらも新しい蒸留所が建設され、当時の最新機器や1880年から使用されてきたボイラーも設置されました。 ネイソンのラムは徐々に地元マーケットに浸透し、ゆっくりと売上げを伸ばしていきました。 その後、ジーンはパリで輸出入部署を立ち上げ、ネイソンの流通ネットワークを確立。ネイソンのラベルデザインも考案し、ブランドを確固たるものにしていきました。また、1958年にはジーンが改造した新しい蒸留塔が導入され、劇的にラムの品質が向上。現在でもまだこのスチルは使用されており、ネイソンの高い誇りと品質を支えています。 1971年にエイドリアンが、1986年にジーンが逝去すると、蒸留所の稼動が一時不安定になりましたが、ジーンの娘であるクラウディーン・ネイソン・ベルナントは亡父の遺志を尊重し、1995年に自身もラムの生産に携わる決意を固める一方で、息子のグレゴリーに蒸留所の経営を一任します。 二人は経験豊富なスタッフに支えられながら、蒸留所の改築・近代化を進め、現在までに家族経営で高い品質のラムを生産しています。